大隅の魅力再発見!

平成24年6月7日(木)、財団法人鹿児島観光コンベンション協会が主催する「観光地視察研修」に参加してきました。

この研修は毎年県内各地の観光地を巡るもので、今年は鹿屋、肝付、内之浦といった大隅方面を訪ねるとのこと。日頃大隅地区を訪ねることがほとんどない私にとっては、大隅を知る絶好のチャンス! 当日はホテルや運輸、飲食業など観光に関わる業種を中心に百人近くもの参加者が集合しました。梅雨入り間もない時季で天気が心配でしたが、朝方ぱらついていた雨もやみ、曇り空の中、大型バス3台で鹿児島中央駅を出発しました。

 

私たちはフェリーで桜島へ渡り、降灰の向きを気にしつつ溶岩道路を通って大隅半島へ。そこから1時間ほど走り、最初に到着したのは、肝付町(旧高山町)にある二階堂家住宅。元衆議院議員二階堂進氏の生家です。高山川の近くにあり、緑豊かで心落ち着く場所です。

 

写真で見ると別々の建物が並んでいるように見えますが、この2棟はつながっています。写真手前の部分は土間や板間がある「なかえ」と呼ばれ、奥は天井が高く客間がある「おもて」といわれています。

文化7年(1810年)頃の建立といわれるこの住宅は、国の重要文化財に指定されています。この日は特別に建物内まで見学できました。

今では珍しい囲炉裏や土間を見ていると、私がまだ小学生の頃、曾祖母が藁葺き屋根の古民家に住んでいたのを思い出し、懐かしさが込み上げてきました。

 

部屋の中に、建物とはそぐわない大きなパンダのぬいぐるみが座っていました。ガイドさん曰く、このぬいぐるみは「日中友好の証」なのだそうです。今からちょうど40年前、当時内閣官房長官だった二階堂氏は田中角栄首相とともに日中の国交回復に努め、日中共同声明が実現しました。その中国のシンボルとして、このパンダが飾られたのだそうです。

 

二階堂家住宅を後にした私たちは、内之浦宇宙観測所へ移動しました。あの小惑星探査機「はやぶさ」が打ち上げられた場所で、2010年にはやぶさが帰還した頃には大変話題になりました。

山間部にロケット発射場があるのは世界でも珍しいそうです。また、ロケットが垂直ではなくやや傾斜した角度で発射されるように設計されていて、これも他にあまり例がありません。海のある方角に傾斜して打ち上げることで、万一事故が発生した場合、機体が陸地に落下するのを防ぐためだそうです。

 

私たちがまず訪れたのは宇宙科学資料館。この施設には、「はやぶさ」はもちろん日本初の人工衛星「おおすみ」をはじめ、この地から飛び立ったロケットや衛星の資料が数多く展示されています。

資料館の入口は建物の最上階にあります。写真の右側に見える「美宇(ミュー)橋」を渡っていきます。

 

建物の中央には、M-3S-1ロケットが展示されていて、ものすごい存在感に圧倒されます。最上階から入った私たちは、このロケットのまわりをらせん状に下りながら進んでいきました。

資料館以外にも、M(ミュー)ロケットの組立から打ち上げまでを行うM(ミュー)センターをまわりました。現在は、来年のイプシロンロケット打ち上げに向けて改修中とのことです。

 

その後、国民宿舎「コスモピア内之浦」で昼食をとり、この日最後の訪問地である鹿屋航空基地資料館を訪れました。

 

平成5年7月に開館したこの資料館、1階では海上自衛隊の活動内容が紹介されており、2階では旧海軍航空隊の歴史が、貴重な資料とともに紹介されています。

 

その中でも特に私たちの目をひいたのは、この「零式艦上戦闘機52型」、通称「ゼロ戦」といわれる飛行機です。この機体は、平成4年に錦江湾と吹上浜の海底から相次いで引き揚げられた2機を組み合わせて復元されたそうです。

今から70年近く前、この地から数多くの若者たちが敵機めがけて飛び立っていきました。「特攻作戦コーナー」には、若くして国のために命を捧げた特攻隊員の遺書が展示してありました。遺された家族を気遣う内容のものが多く、便箋に書かれた文字から彼らの思いがにじみ出てくるようで、胸がつまる思いでした。

 

この視察に参加して、鹿児島県民でありながら大隅について、まだまだ知らないことが多かったことを痛感しました。今回視察した3カ所とも私にとっては初めての訪問でした。このような文化財や施設があることは知っていても、何かきっかけがなければ実際に訪れる機会はなかなかないものです。鹿児島には素晴らしい見どころが数多く存在します。そんな鹿児島の魅力を少しでも多くの人々に知ってもらえるよう、私も微力ながら伝えていければと思うことでした。(岡)

2 Responses

  1. こんにちは、
    丁寧に書かれたブログありがとうございました。米国の加州で写真屋をしている健二です。ツイターで、あなたのホームページのことをしりました。鹿児島を離れて30年になりますが、”…まだまだ知らないことが多かったことを痛感しました。”っと行ってた事に同感しました。ぼくも、まったくそうです。すこしはずかしいです。これからは、鹿児島の事を,もっと学び、そして、ぼくの、いま計画中の米国ー鹿児島間の文化交流を、行ないたいと,おもいます。そのときは、また、お話を,聞いて下さいね。
    じゃあ、また、
    さようなら、
    けんじ

    • けんじさん、コメントありがとうございます。
      私たちも取材をしながら、日々驚くことばかりです。
      今後ともリージョンをどうぞよろしくお願いいたします。